ショート・ショート ファンタジア Vol.2
「赤」
僕は、いつも彼女の真っ赤なマニキュアが気になってしょうがない。はっきり言ってマニキュア、特に真紅は大嫌いだった。
「私、この色が一番似合うの」
彼女は赤が好きだといつも言っていた。なのに服だけは白しか着ない。
彼女の顔立ちははっきりとしていて鮮やかで、でも派手とは違うんだ。それと、優雅な身のこなしを兼ね備えている。
全てが赤で埋め尽くされているのもイヤだが、赤を着た方が余程引き立つというものだ。「何故、服は白なの?」
すると、彼女はティーカップから口を離しクスリと笑った。
「バカね・・・。全部、真っ赤じゃ変でしょ?」
僕の思ったことと同じことを言う。何だかホッとした。
「そうだよね・・・」
“ハハッ”と僕は小さく笑うとコーヒーを一口飲んだ。
そもそも、どうして僕は彼女とつき合っているのだろうか・・・。僕が友人に言っている女性の好みとは少し違う気がする。
理想と現実とはこのことなのだろうか。と簡単な答えを出してしまう。だが、彼女とは友人だった覚えもなく。また、どちらかが惚れて告白をした・・・そんな覚えも全くない。気づいたらこうして僕の前には彼女がいて、好きな真紅の口紅をつけた少し薄い唇を微笑みに変えて見つめている。
まあ、でも暇な休日に会う相手がいるのはいいものだ。独りで飲むコーヒーは味気ないものだから。
彼女の口調は少し強気で結構、頑固なところがある。それに僕は尻に敷かれるタイプだとよく言われる。
「よぉ! 昨日は美人と一緒だったな。見たぜ」
大学の友人が教えろと言わんばかりに探りを入れてくる。
「昨日?・・・あぁ、まあね・・・」
確かに彼女は美人だ。それを否定する気は毛頭ない。しらける嘘は付かないことだ。
「で、名前は何て言うんだよ。どこで知り合ったんだ?」
「!!」
一番重要なことに僕は初めて気づき、友人の顔を見つめた。
「え?・・・あっ、何て言うんだろう・・・」
そうだ、僕は彼女を何て呼んでいたのだろうか。年は?趣味は?住んでいる所は?呆然と答えた僕を友人は軽く笑いとばした。
「何だ、お前ナンパして何も聞かなかったのかよ。バカな奴」
そしてバシッと背中を叩くと通り過ぎて行った。
いつから彼女と会って、ああしてお茶を飲んで・・・一体、何を話して、二人して笑い合っていたのだろう。彼女は何者なんだ・・・。そして、それを変とも思わずつき合っていた僕の神経はどうなっているのだろうか? 自分で自分がわからなくなってくる。
「どうしたの? 浮かない顔をして」
彼女と僕がいる・・・。
いつもの喫茶店で、彼女はアールグレイ、僕はブラック。そして同じ席で向かい合って笑っている。赤いマニキュアが鮮明に目に映る。その度に彼女の会話は止まったかのように僕の耳に入ってこない。思わず目をつぶった。脳裏に赤がちらつく・・・。
彼女は、ほんの少し驚きとは違う・・・何か初めて見せる表情を窺わせた。
「どうしたの?」
僕の肩に手をやった。赤が僕の肩に・・・。何かを思い出さなくてはいけない。胸が苦しくなってくる。
「君の名前は?」
手をなるべく優しく振り払うと、僕は彼女の顔を見つめた。
「やだ、
白根
さんたら・・・」
今度は驚きの表情をした後、クスクス笑ってみせた。
「あっ、そうだよね・・・
百合
・・・ごめん」
(名前・・・知ってるじゃないか・・・)
でも、頭の中のモヤモヤは増すばかりでどうにもすっきりしない。
「気分でも悪いの? 顔色が良くないわ。帰りましょう」
テーブルの上の伝票を握ると彼女は急いで席を立った。
「帰る? どこへ・・・?」
僕も席を立つと、彼女の手から伝票を取り上げて、普通に会話をしているかのように聞いた。彼女に問いただすことで、モヤモヤが少しずつ晴れていく気がする。
(僕は聞かなくちゃいけないんだ・・・)
「もう、今日は一体どうしたの? 私たちのアパートに決まってるでしょ!」
「私たち・・・」
小さく呟く僕から伝票をまた取り上げると、お金を払って喫茶店を出て行った。
(一緒に住んでいる?・・・違う!!)
“チガウ、チガウ、チガウ、チガウ・・・”
頭の中を言葉が巡る。僕は走ると彼女を呼び止めた。振り返る彼女は、美しいまでに悲しい微笑みを浮かべると。
「お願い・・・思い出さないで・・・」
今にも涙があふれんばかりの顔。僕は何も聞けなくなった。お互い何も話さず歩き・・・そして僕たちのアパートに着いた。
確かに見たことのある部屋の中の風景。テーブルには君・・・そう白い百合の花が一輪挿しに飾られている。
何のためらいもなくソファに座る僕。それに安心したかのようにコーヒーを入れる彼女。そう、僕たちは同棲していたんだ・・・でも自信がない。モヤモヤの中でちらついている赤・・・。
(思い出さないで・・・彼女はそう言ったよな)
「本当に今日の白根さん変よ」
コーヒーを手渡すと呆れたようにクスリと笑った。
(その笑顔!)
ガチャンッ!
コーヒーが真っ白なテーブルの上に広がる。僕は立ち上がると、こぼれたコーヒーが滴り落ちるのをただ見つめていた。
(そうなんだ・・・僕は・・・)
彼女は顔を俯かせたまま泣いているようだ。肩がふるえて、長いサラッとした髪が肩をすべる。
「ごめん、百合・・・」
こんなにも赤が気になるのは・・・。
あの日、真っ白なワンピースを着た君の左胸からは真紅のバラが咲いていた。突き刺さった刃物から赤があふれる。それは真紅の・・・。
「ダメッ! あなたが悪いんじゃないの。どうして? どうして思い出してしまったの?」
彼女は泣きじゃくりながら叫ぶ。
「忘れて・・・お願い。このまま一緒に・・・」
流れる涙をぬぐいもせず、彼女はすがるように僕を見つめた。
「もう。忘れることなんてできないよ」
僕は優しくテーブルの上の一輪の百合を見つめた。
「白い花は死人の花だ・・・」
僕は百合の花弁にそっと口づけをした。
「ねえ・・・私を愛している?」
いつの間にか涙は乾き、すがるような瞳にはいつも通りの優しさを灯していた。そして、小さく微笑むと僕を包み込む。
(・・・本当の彼女だ)
自然に施した化粧に、口紅などつけなくても十分なほど艶やかなピンクの唇。いつも地味な色の服ばかり着ている彼女を、僕は勿体ないと思っていた。もちろん、服装などで彼女の美しさが損なわれることはない・・・。でも、こんなにも綺麗なのに。彼女は自分に自信がないのかどこか不安げな表情ばかりしていた。最初はそれでも好きだった。だが、いらつく自分がいたのも確かだった。
そして、彼女の誕生日のとき僕は真っ白なワンピースをプレゼントした。“さよなら”と一緒に。
白を纏った彼女は誰よりも綺麗だった。
僕の言葉に最初から気づいていたのか、彼女は涙を浮かべそれでも最高に微笑んでみせた。
「見て・・・まるでウェディングドレスみたい。私初めて、真っ白なワンピースなんて・・・似合う?」
うなずく僕に彼女は嬉しそうにクルリと回ってみせた。そして・・・倒れた。彼女に本当に似合いそうな赤を胸ににじませて・・・。
止める暇も・・・また考えもつかなかった、彼女の行動。僕には何が起こったのか把握するのにだいぶかかった。
血は流れ腕を伝って、桜貝のような爪を真っ赤に染めていった。
(今までちらついていた赤はこれだったんだ)
その後、僕がどうなったのかは本当に忘れてしまったらしく、気づいたら病院のベッドの上だった。僕は受話器を握ったまま倒れていたらしい・・・。情けない話だ。
涙が頬を伝う・・・。僕は真っ白な天上を見つめながら、彼女の赤を思い出していた。
「ごめん・・・百合・・・」
僕は両腕で顔を覆うと、声を立てずに泣いた。
目を閉じると百合が微笑む。
「ねえ、私のこと少しでも愛してくれた?」
僕は真っ白な天上に両腕を伸ばす。
「・・・もちろん・・・愛していたよ・・・」
−END−